自宅前

自宅前
2013年5月18日現在の通り沿い。

2012年2月15日水曜日

緩和ケア病棟

午前中、お久しぶりにN先生とKさんにお会いして、お話を伺いました。
ご期待に添えず申し訳ありませんが、何かと忙しい私です。

午後、県内の病院に行ってきました。

病室に友人のお見舞い。
昨日、知り合いが亡くなった知らせを聞いてショックからか、
昨日は何も食べられず動けなくなり、危ない状況だったとお話されていました。

お嬢さんお二人は東京にいて、なかなか来られない状況。
ご主人もご病気。

伺ってお話していたら、ポロポロと涙されていました。

私がいても寝たかったら寝てと言いました。
気を使う必要なんて何もないです。
頭のてっぺんに気を入れて差し上げました。

うとうとと寝ていました。
起きたら、昨日何も食べなかったのに、お煎餅を食べて、ガリガリくんを冷蔵庫から出して
もらって欲しいと言う。

看護師さんに言って、出していただき、私はお煎餅もガリガリくんというアイスも
一緒に食べました。久しぶりに食べたガリガリくんは、美味しかった。

看護師さんは、すい臓のない彼女の血糖値を測りに来ました。
お薬を飲みました。

何しろ昨日何も食べなくて死にそうだったらしい。
看護師さんも元気になって驚かれていました。

お嬢さんは、大学の先生なので、春休みまで待ってもらって、少し親孝行させてあげたい。

病室に長くいることは、慣れているからぜんぜん大丈夫と言いました。
うとうと寝ると私がいるかと目をあけて見る。
今日は、暇だからずっといるから安心してと言うと、ホッとしたように寝る。

病室に入った時、手を握り、話を伺って、
「残念だけどね、Mさんまだ死なないから大丈夫と言いました。」
「だいたい、私は、娘を看取ったら怖いものなしだから、お嬢さんが泣き叫んでも私が側にいて、
ちゃんと看取ってあげるから安心して」と言いました。
「誰も苦しまないし、魂は自由で、こんな不便な身体から抜けてきっと楽しいと思うよ」と言いました。

死に近づいた時に、本当に皆、恐怖で同じ目をするんだなと思いました。

父も同じ目をしていました。

ただ誰か近くにいて欲しいのです。

明日も来るよと言いました。
そうしたら、「うんありがとう」と言う。

「明後日も多分少しなら来るよ。」と言うと。
「うんありがとう」
「土曜日は来れないけど、日曜日は、また来るよ」と言うと
「うんありがとう。良かった。」

と言う。

悪いから来なくていいとは言わない。
来て欲しいんだと思いました。

今まで知らずにお見舞いに行かなかったけど、知らせて下さったFさん、
私、同じ船に乗ることにしました。
何か、そうしなければならないように思います。

行けない時は、行かない。
年上の友人で、家族でも親戚でも何でもないけど、
私をKちゃんKちゃんと呼ぶ。

弟さんが夕方病室に来た。
「姉ちゃんこんな若い友達がいたのか~。俺知らなかった。良かったな~。」
とおっしゃって、
弟さんがいらしたので、私、帰ろうと思ったら、
「いや~~良かった。俺、帰る。」と帰っていかれた。

看護師さん二人がマットを新しい物に替えにきたので、そのタイミングで自宅に帰ってきました。

自分の娘には、仕事を投げ出してきたら許さないなんて、強がりを言う。
大学が春休みになったら、お嬢さんがいつもそばにいられるようになったら、
大丈夫かなと思います。

私の娘の命日3月20日。
それまで生きていてくれるかな?

4 件のコメント:

  1. 有難うございます YMKさんにお知らせして
    少し気持ちが楽になりました
               ヨロシクね F。

    返信削除
  2. もしも私がMさんの側にいる時に何かあっても、
    まったく動揺しません。と今日弟さんにお伝えし、弟さんがホッとされてました。弟さんは、姉ちゃん頑張れ頑張れと必死に励まします。
    よほどお姉さんを心の支えにされていたのでしょう。
    妙に度胸の座ったのが来たと思っているでしょう。

    お嬢さんがお医者さんのお話を聞くということで病院にいらしたので、
    帰ってきました。

    明日FさんとBさんが来るよと言ったら、喜んでいましたよ。

    返信削除
  3. お疲れさまです
    Bさんも「やっと会える」と楽しみにしてます。
    どんなお話しようかな。

    返信削除
  4. 2時過ぎに行きます。お会いしましょう。
    (*^。^*)

    返信削除