自宅前

自宅前
2013年5月18日現在の通り沿い。

2018年6月21日木曜日

日日是好日

日日是好日   森下典子

最近お茶の先生からお借りした本です。

お茶のお手間いを習っていてもう1年くらいたったかなあ。
私が何故なんだろうかと毎回思っていた事を先生は、丁寧に教えてくださるけど、この本を読んで、ああそうなんだと
何となくわかったような気になった。

本のお茶の先生は、何故なんですか?と質問しても、決まりなのよ、とにかくやりなさい、と言う。
主人公は、毎週毎週、
仕事のあとお茶の先生の家に通う。
そして20年、お茶は、行きたくないと
思っていても何となく行くと行って良かったと思ったと言う。
五感を感じ、季節の移り変わりを感じる。

先生は、何故黙っているんだろう?

何年も続けて行くなかで主人公は、
先生は、言わないのではない。
言葉では言えない事を無言で語っているのだと気づく。

本当に教えている事は、目に見えるお点前の外にある。
内面が成長して、
自分で気づき、発見するようになるのを、根気よくじっと待っているのだったと。

お茶の本を読んでいてふと私は、
太極拳の心の気づきの楽しさを、
生徒さんにすべて教えようとしてなかったかと、思った。
何も教えない事で教えようとする事なんて出来るだろうか?

名時先生は、よく何でも良いよとおっしゃったと聞きます。
本当には何でも良くはなかったらしいけれど、
きっとこれは、自分で感じてご覧、何回も動いて見て自分で考えてご覧と言う意味でおっしゃったのかもしれない。

楊名時24式太極拳は、回数を重ねて行くなかで、はじめて気づく筋肉の感覚がある。
早く動く簡化太極拳では、気がつけない。ゆっくり軸を狂わさずに動くには、
筋肉で支えたら筋肉が悲鳴を上げてしまい一日3教室もやってられない。
尾てい骨に足の太い骨に載せて足を寄せていき無理なくやや上下に動かないと
とても低い体勢の下半身のまま動くことなどできない。
簡化太極拳より奥が深いと感じるところの一つです。

最近、左右の手が調和して関連して動くのが感じられる。

慧先生に習いはじめた頃から、
常に慧先生は、左右の手の調和について
語られていた。
調和ねっと当時頭でわかったつもりになっていたけど、今の自分は、全然あのときは、
わかってなかったと理解出来る。

少年団のミニバスを教えていた頃、今の支部長に球技とは比べものにならないぐらい
深いんだと、試合の合間に力説された。お嬢さんがバスケットで活躍しているのに
このお父さんは何を言っているんだろうかと興味を持ってはじめてみた。
30代では、ただただママさんバレーボールの、ジャンプ力が太極拳をしていたら増して、
アタックが安定したから、筋トレのようなかんか感覚で太極拳をとらえていたように思う。
あれから、17年が過ぎて、
週に、東京の稽古を入れると、多い時は、12教室なんて週まであり、
太極拳ばかりしている今の自分がいる。

24式の間ずっと丹田を意識して動くなんて有り得ないと思っていた時期もあったけど、
今は、丹田を意識しないなんて有り得ない。

前後左右上下の陰と陽なんて?なるほどねなんて思っていたけど、
頭で理解しようとしていただけだった。
今は、本当に前後左右上下感覚を意識して動いている。

成長に応じて、前の理解とは比べられないように深くなる。

その深い気づきこそが、楽しくて楽しくてたまらなく私を魅了している。

お茶の世界観と同じように、そこには、
ひたすら長い年月の継続と稽古が必要な気がする。

今の自分の気づきが、また10年先、20年先に深まっていくのだと思うと、さらに楽しみになる。

いろいろな方面の事が、すべてつながっている。

もしかしたら身体に変化が起こり、痛いところが出来たり、加齢に寄り今と同じように動く事が
出来なくなるかもしれないけれど、その時にこそまた新たな楊名時24式太極拳の世界が
違った意味で理解できるようになるかもしれない。

丁寧な指先に神が宿ると聞いたことがある。
指の先まで繊細に意識をして動きたい。

それはお茶も太極拳もまったく同じ世界だなと感じる。


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