自宅前

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2013年5月18日現在の通り沿い。

2018年9月3日月曜日

虚心坦懐

虚心は、辞書で引くとわだかまりなを持たない心。先入観を持たない、素直な態度。とある
坦懐は、先入観を持たず、広く平らな心で物事に臨む態度。とある

太極拳の稽古は、何年同じことを続けていても、この虚心坦懐の心を
忘れずに稽古することが実に大切だと思います。

そして聞耳漏らさないようにしっかりと聞くこと。

朝カル土曜日クラスで慧先生の指導を伺っていると
同じ事の繰り返す中に以前もおっしゃっていた事の中に
気付きがある。

今でも私には虚領頂勁の稽古要諦の意味が深く理解出来てないように感じる。
太極拳十要の大切な要諦の一つであるにも関わらず。

姿勢を正しくする姿勢についての要諦だという事は理解出来ている。
頭を軽く虚にして上虚下実にして臍下丹田を充実し勁はパワー。
雑念を払い謙虚な心で無念無想で太極拳をする。
頭頂部を高く重力で下がるものを内から引き上げる意識を持つ。

その稽古要諦の週に

もう一つが三尖六合で、また頭を悩ませる。
内と外。精気心。内臓、呼吸、脳みそ。
肩と股関節(クワ)肘と膝対じしているところが関連して調和する。
内側からわきあがるエッセンスは表情に現れ動作が安定した中に
見えるものは内から湧き上がるものだよと名時先生の言葉。

私は、太極拳を動きながらいつも内なるエネルギーに意識が向かう。
だからと言って外に表してしまえば、見え見えになる。力強いと言われていた
動きなるから今は、その力強さは見せないように動く。
だから、定式の寸前でそのエネルギーとお別れする。
これ以上力が抜けないところまで力を抜く事にしている。

多分こんな意識がある間は、とても無念無想などという境地にはまだ至れない
のだと理解している。
だからずっと先でも良いから、この虚領頂勁が理解できるのもずっと先の事
なんだろうと思っている。

だからこそ常に虚心坦懐で毎回の稽古に臨まないといけないと
思っている。いろいろな気づきが指導している場でもふと頭にわいてくることが
ある。

身体全体が膨らみ緩む中で頭の頂はいつも上に上に伸びて、
軸を崩さずに動いていく。
しかし臍下丹田は、充実していて上虚下実でなくてはならない。
その事については、自分でずいぶんと習得したように感じている。

いつの日にか、要諦の一つ一つが自分でOKだと言えるようになる日が
来るのだろうかと思いながら・・・・・

進先生は、推手をしなければとおっしゃるけれど、それはそれとして、何となく
数回経験はしたけれど、どうもなかなか魅力を感じ続けられそうもない。
何となくだけど、こんなことを言ったら怒られるかもしれないけど、
推手という動きがややキモイ。
ごめんなさい。
これこそ私には虚心坦懐の心が必要かもしれない。

だから名時先生が慧先生に、楊名時太極拳だけしていれば良いよと
おっしゃったのが救いです。(笑)

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