自宅前

自宅前
2013年5月18日現在の通り沿い。

2015年8月26日水曜日

体の使い方

土曜日の午後、新宿朝日カルチャーで久元裕子先生のレクチャーコンサート
を受講した。さすが久元先生おっかけのフェラインSさんとお会いでき、お隣で
聴かせていただいた。

送別会ランチがお隣のワシントンホテルだったので、少し遅れてしまったけれど、
10分遅れて入ることができました。

1時からというのは、ランチタイムを考えると実にタイトな時間設定。
あと30分始まりが遅いと良いなと思いました。

その時の先生の指使いを見ていた。

最近ピアノの先生に言われている事、曲にもよると思うけれど、
久元先生の指は、けしてやってはいけないような指の折れ方はしない。
当たり前だと思いますが肩は下がり肘が垂れていながら指のポジションが高く
弾いていて無理がなく実に美しいフォーム。

楽譜を見ながら弾かれているのですが、置かれる楽譜が見える位置に座ったため、
その古めかしい弾きこんだ、書き込みが沢山ある楽譜がまたよくて、
ピアニストは、こうやって楽譜を読み解いていかれるんだなと思い見ていました。

太極拳と同じだなとつくづく感じる。

ピアノのフォームは、なかなか作れない。
そして意識。
曲の主旋律を小指で意識して弾かないと、曲のメロディーラインがぼやけてしまう。

意識してとピアノのレッスン中に先生から言われる。
ここでこの音と和音でも主旋律の小指に意識をおいて音を鳴らした。

意識がないと和音が同じ音で鳴ってしまうから、どちらかと言うと
低音の親指が響いてしまう。

親指は、どうしても無意識だと強く音が出てしまうから、全体的に優しく弾いて
小指に集中した。
そうすると確かにメロディーラインが響いて聴こえてくる。

我の強さは、いらないとつくづく感じる。
言い訳を言い出せば、いくらでも出てくるかもしれない。

毎回はじめて教えていただくような気持ちで聞く。

ピアノも太極拳も素直に自分が得意になって出来てるなどと思うことは、
とんでもない。

先日Mちゃんが、慧先生は、一度一人に声をかけたことは、もう二度とその人に
おっしゃらない。だからいつも自分が言われていると思って、自分の動きが違うと
思って聞いてないとダメなんだよと最近木曜日に通いだしたAさんに話していた。

沢山の生徒を一度に指導なさるから、そうだけれど、
マンツーマンのピアノの先生も同じことを何回もご指導いただいていると思う。
でも自分がそのレベルに達していないと、聞き流してしまう事が沢山ある。

教えていただいている時に、前も言われていたよな~~と思うことがある。
だけど、その時の自分のレベルでしか聞く耳もない。

太極拳も同じで、いつもはじめて聞くように慧先生の指導を聞く。
毎回新しい発見がある。
また自分と体型や柔軟性が違う仲間のMちゃんの話も実に指導に興味深い。
股関節が固い事で、私や慧先生の足の向きがあり得ない方向に向いていても
そのまま動いていくけれど、方向を正そうと思ったら、Mちゃんは、つま先の向きを
よほど気にしないとその方向に膝が向いてくれないそうで、
昨夜のお教室で足の向きがあがる方向にこだわる方がいて、
そのように足を上げる師範の先生もいらっしゃるけれど、
踏み出す方向は、正面なのだから、空中で片足立ちの状況で正面に向きを変えるのか?と言うところなのだけれど、そう足を上げるから、やはり踏むべき方向に足が出ていない。

ご自分は、出来ていると自信があるのだと思う。

鏡がないお教室、なかなか指導は難しい。

鏡があると一目瞭然なんだけれど。

自分が習う事と教えること。

太極拳だけじゃなく、共通するところは、いかに我を捨て、素直に言われたことに
向き合うかと言う事だとつくづく感じます。

客観的に自分を見ることは、なかなか難しい。

合唱でも余計なことを言わないようにしようと思っているのだけれど、
聴いていると他のパートの練習を聴いていると、気が付くことがあって、
ついつい言ってしまう。
「私は気を付けているから、ちゃんと歌っているわ」と言われた。

余計なこと言わなければよかったかなと反省したりする。

次の美由紀先生がいらしたときに、先生が、何回もその部分を修正されて、
それでもなかなかなおらない。
本番も近い時だった。

私に言われたところだったと思ったんだと思う。
口パクでそこは、私歌わないから大丈夫とおっしゃる。

え~~間違えても良いじゃない。
本番思い切り歌ってよと言った。

何も言わず、放任していつまでもなおらないというのも良いってものでもないし、
その立場でも変わるし、
伝えるということは難しいなと思いながら
やっぱり素直が一番だなと思う。





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