最近思う事はいかに太極拳を流れるような中にも武術的な要素を
持ちながら動けるように、くにゃくにゃではなく動いていきたいと思うことです。
しかし止まらない。
止まらないためには、前後の陰陽の意識が常にある必要があり、
例えば9式から10式に入
る時に、単鞭の前の手は、相手を押す手で、
楊名時太極拳は、手のひらを制定拳のように斜めのままじゃなく、
きちっと正面に向ける。その時も左右の手はずっと響きあっている。
動いていく左手ばかり意識しているようで、必ず右手にも意識があり、
押す手が伸びていく最後の瞬間に右手は解き放たれて
次の雲手の動きに移っていくのだけれど、その押す手だった左手も
右手が解き放されている時にも右手ばかりに意識があるわけではなく
押した手の余韻を楽しむように孤の動きをしていく。
左右の手の意識をいつなんどきも意識下におく。
稽古の回数を重ねる事で左右の手の陰陽や左右の足の陰陽を
感じ取り動く事の心地よさが、流れるような中にも武術的な鋭さを残しつつ
動いていけるように感じています。
生徒さんで他のお教室でも稽古されている方が、ダンスとの違いを説明
してくれて、妙に納得した。
ダンスを長くされている方は、手に表現があり過ぎて
上虚下実が反対になり上実下虚になっているという。
慧先生の箱根や最近のテーマが上虚下実です。
長く稽古を続けていく中で丹田に気を沈めることで下半身が安定する。
手で表現するものではなくあくまでも腰が柔らかく動く中に手は、肩の高さで
ぶら下げているような力の抜き具合。
手で表現しているのと私の上記の手の表現はまったく異なり違う。
だから太極拳は難しく、一つ一つ稽古を積み重ねて自分の宝物に一生していく。
自分の理解が伝わらない事も多く、指導も難しい。
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