名時先生の本に分清虚実について書かれているところに
一番わかりやすいのは、体重移動だけれども
至る所に虚実があり、外面に現れる技を実とすれば、
見えない心や内面は虚であり、無心の境地で技の実を伴う事が大切であると書かれている。
さらに奥が深いのは虚実の中間に間があり、「妙は虚実の間にあり」とも言うから
難しい。
無心の境地と間というのは、何だかとても難しい。
だからこそ、まだまだ足りないと思え一生かけて続けていく価値があると思う。
日日是好日の映画の表千家のお茶の世界を上手に表していた。
同じことの繰り返しを何年も続けていくところに深く落ち着いた
おもてなしの所作が身についていくものだと感じた。
お茶の先生に聞いたら、正座して背中をまっすぐにするそうで、
太極拳の収臀と同じ姿勢でした。
能の立ち姿も同じだと思うし、声楽も同じ姿勢。
尾てい骨の位置を正して姿勢をととのえるのは、物事をするときの基本なのだと
思う。
場腰(ターヤオ)は、多くの方が相当勘違いしていると思う。
尾てい骨がほんの少し動く事で、実際は、すべて収臀のつもりで丁度良いと思う。
攻撃の時もお尻が反り返ったりしない。腰は立てている。
立禅がすべての基本だとつくづく思う。呼吸で動く程度の事が場腰(ターヤオ)だと
思う。
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