とくに私は、誰かが命をあげるから生きてごらんと言われたということは記憶のどこにもなく、
ただ気がついたら生きていた。
だから、生きることと死ぬことにそんなにこだわる必要もないと思うようになりました。
明日、死んでも良いと思える人生にしたいと思って生きてる。
ジタバタしても運命は、変化をしていて良いも悪いもあるようなないような。
今のまま同じということはなく、流れている。
タオが好きという友人が水のようでありたいと教えてくれたから、
私もならって水のようでありたいと思うようになりました。
自分が惜しいなと思う大切な物を大切だと思って大事にしてくれる人がいたら差し上げる。
人と自分が同じだと思う。はじめて通りかかった人にも、挿し木の苗を誰でも差し上げる。
小さな挿し木の苗より大元の大きな方をなるべく差し上げるようにしている。
その人が喜ぶと私ももっと嬉しくなる。
大切だった君子蘭をお隣の友人にすべて差し上げてしまいました。
毎年玄関で満開だった君子蘭。
10鉢がお隣に並んでいます。
「ねえ誰か欲しいという人がいたら差し上げてね。」と言いました。
私よりずっと年上のお姉さま、「綺麗だから誰にもあげない」
という。
思わず笑ってしまいました。
それだけ大切にしてもらえたら君子蘭も喜んでいると思う。
団地の友人が、ボケの鉢を持ってきて、あなたにあげるという。
どうしてと聞いたら、団地のみんなが、そんなもん植えたらボケちまうと言われたらしい。
「鉢のまま、ここに置いておくから、これは、あなたの鉢だからいつでも見に来て、
返して欲しくなったらいつでも持って行ってね。」と言いました。
大切に育てようと思いました。
君子蘭を差し上げても違う花がめぐってくる。
人生って不思議だなあ。
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