太極拳とは不思議なもので、わかったような気になる時期とわからなくなる時期が、幾度となく繰り返す。
ところが、なんの気なく漠然と続けているうちに、あっと言う発見がある。
これは、以前より腰が下げられるようになったから気が付いたのか、繰返し動いてきたからなのかわからないけれど、こりゃ今までの虚実は、ぜんぜん甘かったなと自分の中の発見です。
そんなことを繰返し繰返し動いて体が内側から動きを感じてきた。これは説明出来るものでもない。
ただ慧先生に言われたことを繰返し意識して動く。
修正したところじゃない体の部分に気付きがあったりする。
自分の体が調和して動けると言うのは、どう言うことだろうかと思っていたけれど、
最近、手はここじゃないとあり得ない等と納得している。
だけど、何年間して手の位置に違和感が出てくるかもしれない。
今の自分の下半身と上半身に今の手の位置が心地よいのかもしれない。思い込みは捨てておこう。
それは武術的にも利にかなった場所であって欲しい。
いろいろな事を思いながら、二度と同じ動きはないのだと名時先生がおっしゃるように、毎回違う感覚を楽しみながら、日々稽古を続けている。
一緒に仲間と体を動かす楽しさ、お互いの気を感じて動く
気の交流の心地よさ、名時先生は、ただ静かに舞われた。ご一緒に一度でも動いてみたかった。
今日の二つの教室で百花拳をした。
私がやらなければ誰も知らないことになるから、研修会に参加出来ない方のためにも百花拳をしたい。
楊名時太極拳の宝物だと思う。
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