自宅前

自宅前
2013年5月18日現在の通り沿い。

2018年8月21日火曜日

気の交流

土曜日、朝カルメンバーと新宿でランチをしようとお店にいたら、
お仲間の携帯にお電話があり、Iさんがランチに間に合うように必死に
家から出ていらした。
もう少し早く来てくだされば慧先生にもお会いできたのに残念でした。
90歳過ぎていらっしゃる。
夏は暑くてとても家の外に出られなかったけれど、
また暑くなると天気予報を見て慌てて来たのよと涼しかった土曜日に
電車に乗って自宅から1時間近くかかる朝カルに出ていらした。

人間の中にはいろいろ可能性があって、それを発揮しようとする。
不可能を可能にしたいと思う。そんな意欲があって生きている。
でもそういう意欲が弱くなっても強い自分を作り出そうとする。
心で努力しても、体で工夫しても出来ない事が、
「気」では出来るのだという気がしてならない。

慧先生がおっしゃる。
稽古に出てこようと思った事でもう身体の中の気が動いたのだから
それで良いと名時先生がおっしゃっていたと。。。

だからIさんが、みんなとランチをしたいと出ていらっしゃったので、
稽古に間に合わなくても十分に気が体を巡り良い稽古になったという事。

気はなかなかわからない。
けれども太極拳をしていると感じてくる。
知らず知らずお互い同士感じ合って「気」によって意欲が高まる。

人間の生活で一番大切なものは、物と物の交換でもない。
心と心の交流が一番大事な気がする。

楊名時太極拳は、慧先生が名時先生がチャンピオンを育てたかったのではない。
自分の健康だけじゃなくお互いの健康と家族の健康と世界の平和とを願う心を持って
稽古する事。
上手になればそれはそれで良いかもしれない。
覚えて24式動けるようになればなったで良いかもしれない。
だけれど覚えられなくたって上手く出来なくっても、
考えて見るとそんな事はどっちでも良い。
伸びたい人は伸びる。
ビールが美味しいから続けているという人もいる。

「気」の交流が出来る気場だから良いんだとつくづく最近思います。

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