自宅前

自宅前
2013年5月18日現在の通り沿い。

2019年11月30日土曜日

価値観

価値観の違う相手と結婚して、結婚は、修行だと、斉藤一人さんなど話されている。
まさに、そうだと今でも思う。

この年になると、まったく違う人間だと理解して、こうして欲しいとかああして欲しいとか、何の期待もしていない。

子供たちは、まったく別の人格だと思う。たまたま授かり、神の子を育てたと思う感じがする。

子供が二人の時は、自分の所有物のような気がした時期があったけど、四人を産み育てている間に、私の及ぶところから何かかけ離れた存在だと感じた。

祖父のお客様が、正月に150人くらいいらして、正月休みには、のんびり過ごす事もなく、暮れからお手伝いさんだけでは足りなく、私たち姉妹は、窓拭きや掃除や料理を手伝った。子供だからっていう事もなく、小学生の頃から、玄関が二つあったので、普段お客様が使う玄関ではなく内玄関と呼ばれていた玄関を綺麗に水を流して父親の靴を磨いていた。大玄関のお客様が使う方は、祖母やお手伝いさんが掃除していたと思う。母は、あまり家事が出来なかったから、娘三人には、厳しく家事をさせた。母は、トイレ掃除は、いつも念入りに掃除していた。祖父は、毎朝、家の回りを竹ぼうきではいて、朝風呂に入り、出迎えのハイヤーで出かけて行った。暮れは何をしていたか?お正月は、沢山のお客様を迎えていた。
当時、千枚の年賀状にスタンプを押すのを手伝っていた。祖母は、千枚の年賀状の宛名を書いていた。

正月のお客様を迎えるお節料理を姉が祖母を手伝って、鯵を三枚におろして、トゲを抜いて、昆布じめしたり、煮物は30日31日に大量に煮ていた。

父親は、飼っていたニワトリを羽をちぎり、綺麗にさばいてバットに載せて、各部位を説明してくれた。毎年、お正月の水炊きは、飼っていたニワトリの肉に白菜と豆腐を入れて、ネギを刻んで、ポン酢で食べた。
お客様には、水炊きと日本酒が主だったと思う。
150人お正月にお客様が来るのが当たり前と思って育った私は、お雑煮しか作らない主人の実家に暮れに働く気満々で行ったら、何しろ驚いた。お節料理作らないんですか?掃除しないんですか?と全く知らない違う世界に、不思議で不思議でたまらなかった。

お正月の朝、早く家族で起きて、祖父がいたころは、祖父が、亡くなった後は、父親が挨拶してお屠蘇で乾杯した。変な味だったけれど、懐かしい。

今は、やはりほとんど何もしない主人の実家の風習が、変だと思って、子供たちにお節料理を食べさせる1日の日だったけれど、今は違う物も食べたがり、1日くらい食べるだけに、しかし結婚したら、家には来ないかもしれないなあと思って、今は、何もほとんどしなかった主人の実家の風習に近い生活に慣れてきた。

今は、主人にも息子たちにも何も期待もしないし求めない。楽しんで生きていたら良いと思っている。

昭和の時代でも、とてもまれな家庭に育ったのだと認識している。

何も誰にも求めない。それが、私のポリシー。


1 件のコメント:

  1. YouTubeから、Twitter、そしてこちらに着きました。
    私も同年代、フルタイムで仕事はしていますが、根は怠け者、、。
    かさじまさんが、太極拳の先生をしながら、お家はピカピカ��。毎日動画を更新されて、そのうえTwitterやblogまで!
    そのパワーはどこからくるのか知りたくて、動画を見させていただいています。
    ご主人様はどんな方なのか、どんな出会いだったのかもとても興味があります。blogに書かれているかな?少しずつ読ませていただきます。

    返信削除