自宅前

自宅前
2013年5月18日現在の通り沿い。

2017年5月27日土曜日

間とか空間とか休符とかすべてのものにおいて、
何もない世界が、美しさを感じられるのだと
最近とくに感じます。

ピアノを弾いていて、休符があるわけでもないけれど、慌てて
突っ込んで弾いてしまうと実に素人っぽくなってしまう。

音がない瞬間は、弾いていると少し怖い気がするけれど、
この音のない一瞬に観客が心地よさを感じたりする。

庭に植物を植え過ぎたため、何でも伸び放題になると
良いところもあるけれど、そこに空間が存在しないとただゴチャゴチャに
見えてしまうという事を思い知らされている。

太極拳は動き続けて止まらないのだけれど、間が存在する。
見ていて動いているようには見えないけれど、次の動きの準備だったりする。
前に進むところから後ろに動くときに止まって見えたりする。
呼吸であったり筋肉であったりすでに動き始めている。

でもその動いて見える瞬間に美しさを感じる。
確かに動いているのだけれど、止まって見える。
その間が、経験年数が浅いと次の動き次の動きと
早く早く動いてしまう。

部分稽古では、とくに焦りが出るように思う。
二つにわけて動いていただくと
とくに早くなる感じがして、もう一度同じ動きをしてもらうと
先ほどより間を取ることが出来て動かれる。

声楽の先生も合唱団の新しい先生も息を慌てて吸わないようにとおっしゃる。
十分に息をすう時間をとるから、ゆったり吸うようにと言われる。
休符がないところでも・・・息を吸っている時間は、休符でもなく
微妙な間だけれど、それが音楽を芸術的に聴かせてくれる。

以前は、鼻で勢いよく吸っていたけど、
声楽の先生は、口からゆったり吸うように指導されることもおおいい。
喉が十分開くからです。

ピアニストで国立音大の教授のH先生にピアノの呼吸の事を
伺った。歌の呼吸とは違いますと言われ説明して下さった。
なのでピアノでは早く吸うことはしなくなった。弾きながらも吸うこともある。

絵にも空間があって、その空間があるから絵が引き立つのだと思う。

部屋も空間がないとゴチャゴチャの印象になる。

アクセサリーも引き算を考えるようになった。
ピアスもネックレスもブレスレットもとあまりに増やすとやぼったい印象。

音もないところや空間や間
のようなものが美しさで芸術ではないかと
そんな風に思う。

今日は祖母の17回忌東京でお食事会で着物で参加してきました。
では、また

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