自宅前

自宅前
2013年5月18日現在の通り沿い。

2020年7月13日月曜日

太極拳のゆとり

私は、小学生の頃から、バスケットボールをしてきた。 大学まで12年間同じスポーツを続けてきました。 目標は、常に勝つことでした。 勝つために練習して、勝つために繰り返し1日何本もシュートを打った。 山梨に来てからスポーツを再びはじめて、ママさんバレーボールをして、 ミニバスケットボールのコーチも頼まれて、子供たちに10年指導していた。 太極拳をはじめたのもこのころでした。 保護者も勝つことを求めていた。 私も勝つために練習内容など考えていた。 10人必ず前半に出場させるという素晴らしいルールがあり、 後半は、レギュラーで戦った。 色々な事があり、この勝敗というものに全く興味を失った。 勝つために戦えなくなったので、10年でコーチもママさんバレーも 辞めてしまった。 ここ数年で、太極拳で、上手に演舞するなどと事もどっちでも良い事のように考えている。 見栄や物への執着、何もいらないと感じるようになった。 楽しいため何となく毎日の習慣のようにYouTubeの動画もアップロードしている。 それも期待に添いたいなどという気持ちも全くない。 自然体で良いと思って、登録者に人気がある動画をださなくてはいけないと言うような 気持ちもなく、日々の生活の一部を紹介している。 これは、太極拳や八段錦のゆったりとした動きから、穏やかな心を養った事に あるように感じる。 心の平穏は、健康を保つ大切な事のようにあらためて感じる。 花は、100日も綺麗に咲き続けられるわけではない。 3年平穏無事にストレスなく生きられるわけもない。 そう言う言葉が、楊名時先生の太極拳の心という本にあった。 健康は、あまり気にしないで生きていきがちだけれども 日々、八段錦を行い太極拳を舞い、その中で 心を軽く、こんなことを言ってもどうかと思うけれども、 日々淡々と太極拳の愛好者が増えると良いなあと願うだけで、 大きな大会とか記念なんとかなど、無くてもどうってことなく、 楊名時太極拳の良さを伝えているだけで、 何も求めるものでもなく、実に気楽だと感じている。 淡々とマスクをして、手洗いをして 稽古をしていると、何も気にする事などなく、 なんと平穏な日々だろうかと思う。 嫌な事があったら、その日の終わりには、捨てさって 気持ちよく太極拳を舞い眠りにつけば、深い眠りにつくことが出来る。 これぞ太極拳で得られたゆとり。

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